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次の天皇・浩宮様の人柄や学歴とは?

次の天皇・浩宮様(皇太子徳仁親王)の人柄をいくつかのエピソードから、「中世の水運」を専門とされる学歴をそのきっかけを含めて見て行きましょう。

次の天皇・浩宮様の人柄とは

5月1日に59歳で即位される次の天皇・浩宮様、皇太子徳仁親王のお人柄について、いくつかのエピソードから見てまいりましょう。

趣味はビオラの演奏、テニス、ランニングなどですが、なかでも登山はときどきテレビニュースで拝見するように、最も好きな趣味として知られています。
子どもの頃から両親に連れられて山に親しみ、結婚後もご家族で全国各地の山を歩かれている。
富士山や南アルプスの白峰三山などの3000メートル級を含めて、これまで170を超える山を登って来られたそうで、山の雑誌にエッセイや写真を寄稿されています。

「山と溪谷」 2018年8月号 皇太子さまの山岳写真
「岳人」7月号2014年6月13日に、「富士山に登って」

学習院初等科1年の時、校舎屋上から富士山を眺め、文集に「ぼく、あんまりうれしかったので、おくじょうから、おっこちそうになりました」と書かれ、
悪天候で登頂を断念した後、20数年ぶりの平成20年8月に初登頂を果たされました。その感動を「雄大な景色に見惚れるうち、長年来の夢が叶い、富士山に初登頂できた喜びもひしひしとわいてきた」とつづられています。

奇しくも浩宮様の誕生日(昭和35年)2月23日は、富士山の日だそうです。
「富士山の自然が守られ、今後何世代にもわたり、人々が富士山の美しさを享受できるよう心から願わずにはいられない」と結ばれています。

学習院時代の学友からは、
・幼少のころから活発な少年
・巨人の末次利光・元選手の大ファンであった。
・皇太子さまの高等科時代のあだ名は「じい」。盆栽などをいじっていて、爺くさかったから」
とあります。なんとなく、親しみを覚えますね。

次の天皇・浩宮様の学歴とは

昭和39年学習院幼稚園に入園後、初等科、中・高等科で学ばれ、学習院大学文学部史学科を卒業されました。

昭和58年6月から昭和60年10月にかけて、英国オックスフォード大学マートン・カレッジに留学して、テムズ川の水運史について研究、帰国後、
昭和63年同大学院人文科学研究科の博士前期課程を修了されています(人文科学修士)。平成 4年からは学習院大学史料館客員となられています。

学習院は、主として華族子弟のための学校として開校された学校で、現天皇の明仁陛下はじめほとんどの皇族はここで教育を受けてこられています。

学習院大学の卒業論文、同大学院の修士論文は、どちらも「中世瀬戸内海水運」がテーマでした。

なぜ、中世の水運に興味を持たれたのか、その研究の内容とはどのようなものでしょうか?
平成17年2月10日 霞会館にて行われた学習院の第150回桜友会「月例会」の皇太子殿下の40分に及ぶ講演をまとめた講演録
「中世における瀬戸内海水運について 兵庫の港を中心に見て」からその一端を見てまいりましょう。

http://www.gakushuin-ouyukai.jp/wp/wp-content/uploads/2005/05/ouyukaiho_86.pdf

大学入学以来、交通史とりわけ、人と人とを結びつける「道」に関心があり今日まで、日本中世の交通を研究されてこられました。

道というものに興味を持つようになったのは、お住まいの赤坂御用地の中に、鎌倉時代の道が通っていたということを小学生の時に知ったことだそうです。

その後、小学生の高学年の折に皇后様と読まれた「奥の細道」でさらに興味を深められ、大学の卒業論文で、古来より水上の道として重要な役割を果たしてきた瀬戸内海の海上交通史をまとめることにつながったそうです。

この講演の主題は、瀬戸内海の海上交通の話であり、兵庫の港を中心に話された。
中世の海上交通史が海上交通史では未開拓分野であったこと、偶然見つけられた当時の貴重な資料「兵庫北関入舩納帳」が活字になるタイミングであったことによるそうです。

そして、「海は人と人とを隔てるものではなく、今日の私の話の中から、人と人とを結ぶ海の道の果たしてきた役割の重要性を少しでも感じ取っていただければ幸いに存じます。」と結ばれています。

昭和天皇、今上天皇とも、ご専門は科学であったが、人文系のご専門で、そのテーマも水上の道ということで、新たな天皇像が予感できるように思えます。

こんなにすごい専門家とは知らなかったわ!

次の天皇・浩宮様のネットの評判

やがて天皇になる予定の方に「じい」って、仲が良かったのだろうな。
いい友達をお持ちですね。
ご長寿されて天皇職を全うされるよう祈っています。
あだ名の由来、じじ臭かった。こういう笑えてストレートな言葉を言える間柄で、且つ品のある友人たちと交わってきたのは素晴らしい糧になったのだと思います
学習院という学校が良くも悪くも皇室の人の扱いを良く分かっているんだなあと思った。
雅子様も愛子様も心身共にだいぶ落ち着いたのかなと感じます。
王、長嶋ではなく、末次のファンというところが
皇太子さまのお人柄が出ていますね。
皇太子様はいつも背筋が伸びていて表情も自然体で明るく品格があると感じます。周りへの気遣いも出来る方だと思います。
あんなにバッシングされてたにもかかわらず、皇太子一家は全くと言っても良い程否定もしないし恨み言や国民への不満等を述べた事ないかも。
ただただ雅子さまと愛子さまへの愛情を現し守っていた印象。
バッシングを受けてる時、世間を敵に回しかねない中 雅子様をお守りする発言
ご立派でした。この方は 器の広い方だなぁっと感じてました。

出典:ヤフコメ
浩宮様への好意的な意見が多く、取り上げませんでしたが、秋篠宮や一家と比較したコメントが多かったようです。

最近のマスコミの皇室へのバッシングは、弟君の秋篠宮一家に向けられ、以前の雅子様、愛子様叩きが収まっています。

一時はひどかったもんね!

まとめ

次の天皇・浩宮様のお人柄や学歴をまとめ、次の令和の時代への期待を考えてみました。

皇太子時代、昭和天皇と比較して、格が違うとか、頼りないのでは心配されていた今上天皇が平成の30年の歳月を経て、海外を含む戦後慰霊の旅に積極的に出られる、
ご自身で、退位を決断されるなど、はっきりとご意思を示されて、国民の信頼を得ていることを考えますと、浩宮様がこれからどのような天皇陛下になられるのか非常に期待があります。

今上天皇陛下以上に人望のある美智子妃でさえ、一時はマスコミのバッシングで、言葉を発せられなくなったこともありました。

いつもスマートで、礼儀正しい浩宮様が、2004年(平成16年)5月10日、欧州3か国歴訪を前の会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言したのは、
非常に驚きをもって受け止められましたが、天皇同様、民間から嫁いで、保守的な皇室の中で苦労を重ねている妻を守るという意思を明確に示されたのでしょう。

ハーバード大学卒で、語学堪能、外務公務員採用I種試験女性初のキャリア官僚となった社交的で有能な雅子様が、適応障害の病気療養に入った2004年以降十分な公務ができていないのが心配な点です。
回復基調にあるとは言え、その能力や経験を十分生かしきれていないのが現状です。

民間から皇室に入った美智子様が、子育てなどで、新しい開かれた皇室に変えていかれたように、雅子様もこの機会をきっかけに、多くの束縛から心身を少しでも開放された、新たなステップに踏み出していただきたいと思います。

山を愛し、ひととひとを繋ぐ水運を専門とされ、厳しいときにも泰然とされている浩宮様であれば、雅子様、愛子様とともにこれまでとは一味違った皇室像を作られるのではと期待したいと思います。

一部のマスコミを含め、国民は、永い目、温かい目で、今後の皇室を見守ってゆきたいものだと思います。

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